参考:宝塚歌劇団会見、企画室長が笑っている本当の意味
一昨日行われた宝塚の記者会見の1か月前にあった「第三者による調査チームを発足」の会見についての分析。
なぜ1か月前の会見を分析するかというと、取材対応した方が笑っている、というトピックスが出てきて興味が湧いので、こちらから見てみることにした。
「笑い」は前後関係などを見てもかなり幅広い意味を持って表出することが多いボディーランゲージである。日本の漫画家でありタレントの蛭子能収さんが以前ラジオで「私は深刻な場所で笑ってしまう」と仰っていたとを思い出す。笑う、という動作には緊張の緩和作用があり、笑ってはいけないのに本能的に笑ってしまう、という人がいることはたしかだ。
こういった複雑な「笑い」についてを踏まえて推察をしてみる。
私が見ていて率直に思った点は、この方はご自分が取材陣に囲まれて、取材の趣旨は重々理解しながら、自分が注目されたかのような錯覚を起こし、つい嬉しくなり笑顔になってしまったのではないかと感じた。人は緊張したら笑う、というのもあるが、急に沢山の報道陣に囲まれてあたかも有名人になったかのような錯覚を起こすと”つい”笑う=ニンマリとしてしまう人もいる。実は私も昔、ある悲しい事件が起こった会社に勤めていた時、先輩と会社を出た瞬間に報道陣やカメラに囲まれたことがある。本来は無表情や嫌悪的な表情でその場を立ち去ればよいのに、私の顔は押さえきれないほど思いっきりニマニマしていたのだ。だから、”つい自分が有名人になったような気分”になってしまった時、そしてその事柄に対して理解が浅い場合は、この”つい”ニンマリしてしまった可能性も否定できないのではないかと考える。
そして会見20分全部見ると分かるが、この方は一度だけではなく、複数回いろんな笑みの種類をする。
しかも笑み以外にも、非言語のレパートリーがとても豊富だ。
目をつぶって話す、顎を上げながら頭を上向きに振る、顎を上げ人を見下すような顔の角度を取る。皮肉や軽蔑が表出するときのように片方の唇が上がる話し方(この方の話すときの癖なのか?)、上唇が見えなくなるぐらい怒りを伴ったように唇に力を入れる、眉間に皺を大きく寄せ困ったような顔や怒っているかのような顔を見せる。さらには口をすぼめたり、への字口にしたり、時には頬っぺたをプクッと空気を含む・・・・
上記の非言語の意味は後日説明をしていくが、これらの動作はマイナスな心理状態の時に表出するものであり、非常に印象が強く相手に伝わってしまうものである。
謝罪会見など深刻な状況時に表出すると大きくマイナスな方向へ傾くものでもある。
なので、今回の”笑い”も含め、通常であれば豊かなコミュ力が仇となってしまったのではないかと推察する。
この非言語行動は、きっとこの方の基本行動(ベースライン)でもあったのではないかと推測する。なぜなら急にあんな表情豊かにすることはできない。つまり、日常的なコミュニケーション方法であった可能性が高く、もしそうなのであれば、このようなマイナスな印象を持たれる癖があることを認識しながら、この方を取材陣と会見させた宝塚の良識を疑う。
①この方は宝塚を心から愛している。
劇団側の受け止めを聞かれたときに、大好きな「劇団」のことなのでつい笑顔で答えてしまった:例えば6:10~など
②加害者/被害者といういじめが無かったという事を証明する意味の笑み:7:05~
(笑うことで事実無根を強調しようとしたのではないかと推測)
③囲まれてつい嬉しくなっちゃった笑み:特に19:35分。(まだ”僕”にほかに質問があると知り。)
現在ネットで騒がれている、企画室長が笑っている、というのは、上記②であり、誤解を払拭しようと見せたパフォーマンスだったのではないかと推測。宝塚はそんないじめなんてないですよ~ニコニコ、というアピールが、大いにずっこけた結果が今となって大噴出しているのでしょう。
このように、大変残念なことに尊い命である劇団員の方が亡くなった、というのをかなりお忘れのような感じの対応だ。これでは炎上してもおかしくない。
この”笑っている”会見後を見ると、一昨日の理事長の記者会見の時はこの方は出てこず、違う方(この方は記者の方に目を向けられないほどの恐怖からの挙動不審でそれもそれで凄かったですが・・・)が抜擢されたんだな。と納得がいった。
人にはそれぞれのコミュニケーションの特有の癖を持っている。これを個性とも言う。
適材適所、という言葉があるように、もし会見状況とその個性が合わないならトレーニングや、その場を厳粛な態度で対応できる人を指名した方がよいだろう。
*この分析は新木の専門的視点からの個人的見解です。
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